月光凍度


序章

 県立恐竜博物館。
 夜半を過ぎて、ようやく館長は帰宅の途についた。来月の企画展の改良点を練っていたら、こんな時間になってしまったのだ。

 ただでさえ郊外の公園にある場所の事、流しのタクシーが捕まるとはとても思えないので先に電話をし、タイミングを見計らって外に出る。
 いつもなら暖房を効かせた車で速攻、帰るのだが、愛車は近頃調子が悪く、日中とうとう修理行きとなってしまった。しかも代車が明日(もう、今日だ)まで来ないとなると、致し方がない。
 が、まだ早すぎたらしい。ただ立っているのも寒いので、運転手に分り易いように前の道まで出ることにする。
 
 ――いっそ国道まで出たら、身体も温まるだろうか?
 ふと思ったが、そもそも車を呼んでしまっている。
 それに、近辺に走る二本の国道を思い浮かべ、そこまでの距離を思うと寒さが殊更身に染みるような気がして、つい溜息混じりに天を仰いだ。
 厳冬の、澄んだ空気の中で瞬く星が美しい。

 こうして夜空など眺めるのは、何年振りだろう?

 ――オリオンのベルトから左肩、赤く輝くのはベテルギウス。足元に白く白熱するのはリゲル。
 熱心に観察した子供の頃の記憶に従って、館長は星を辿る。オリオンの胴体にはガス状の星雲が在って、その薄ぼんやりと輝く雲のような姿は、肉眼でも見えるはずなのだが……
 (あの頃は、ちゃんと見えたのに)
 眼は昔から決して良いとは言えなかったけれど、年齢的な差異はやはり大きい。苦笑して視線を流すと、一際明るい光――月に引き寄せられる。
 その月を観る目が、大きく見開かれた。
 月の放つキラキラとした光は『冴え冴え』と言うにも冷たく、痛いほどだ。
 彼は思う、――ああ、今夜は――

 月光(ひかり)が凍っている、と。



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