月光凍度


第一章
工事現場と幽霊と

#2.少女

「痛ぇ……」
 捻ったり、はしていないようだが、あちこち打った。ヒリヒリするのは軽く擦り剥いたからだろう。この程度で済んだのは厚着のお陰だ。
 冬で良かったなあとは思ったが、やっぱり手袋なんかはめるんじゃなかった、とも思った。でも、はめてなければ、もっと酷く擦り剥いただろう。
 考えなければ済むような理屈をつい、また考えてしまった。これだから学は、皆から『理屈屋』だと言われるのだ。
——せめて今度から、手袋を変えよう。滑り止めが付いていて、もっと暖かいやつに。
 最後まで理詰めで結論を出し、不機嫌に呻りながら痛む身体を起こしかけたところに、罵声が浴びせられた。
「何やってんのよ! 危ないじゃない!」
 そちらを見上げると果たして、眦(まなじり)をきりきりと吊り上げた少女が立っていた。
 足を踏ん張って、腰に手を当て。
 学を覗き込むように見下ろしていなければ、『仁王立ち』とも言えそうな立ち方だ。
 さらさらとストレートの長い髪は真っ黒で、着ている服も、ケープのような短いマントも黒尽くめ。ご丁寧に、ひらひらのミニスカートから伸びた形の良い脚を包む、タイツと短ブーツも黒だった。
 乏しい灯りの中で、貌だけが鮮やかに白く浮かび上がっている。おかげで、その子が本当に怒っているのもよく判った——怖い。

 ただ、すばらしく可愛いというか——きれいな女の子だった。
 年齢は多分、自分と同じ——小学校の高学年くらい。何年生だろう。見たことない子だけど、うちの学校かな(それならちょっと嬉しいかも)。学はつい見惚れて、そんな事を考える。
 そのすぐ傍らで、みやおう、と鳴き声がした。見ると少女の足元に、猫が擦り寄って来ている。猫も真っ黒。
(——あ。じゃあさっき、影が走ったような気がしたのも、こいつだったんだ)
「——気をつけてよね!」
 怒れる美少女は猫を抱き上げると一睨みし、ぷいと背中を向けるや工事現場に向かい、開いていた蛇腹状の出入り口を更に広げて中に入ろうとする。
「お……おい」
 その必要も無いのに、何故か焦って声をかける。
 少女は無言で学を振り返った。ただしその顔には、はっきりと『何か用?!』と書いてあったが。
「工事中のトコに、勝手に入ったら怒られるんだぞー」
「誰に」
「誰って……大人に。親とか、工事の人とか……」
 続ける学は、その内容が自分でも子供っぽくて間が抜けていると思ったので、相手に「何処に存るのよ」と返されて、うっ、と詰まった。
「……いなくても。第一、危ないじゃないか……それにこんなトコ、何も無いだろ?」
「私は夜目が利くの。それに、ご心配なく。一人じゃないわ」
 何とか反撃を試みるのだが、相手にとっては敵ではないらしい。それに、大人のような言葉も使う——何か、悔しい。
 少女は猫を抱いたまま学の顔を見ていたが、ふふん、と嘲笑(わら)って言った。
「——知らないのね」
「何を」
 その笑い方に何となくムッとはしたが、内容が気になって尋ねてみる。
「教えない」
「……何だよ、それ」
「解るとは思えないから」
「ンなもん、聞いてみなきゃ判んないだろおっっ!!」
 爆発した学に、少女は告げた。
「——竜が存るのよ」

 二人の間を、冷たい風が吹き抜けて行った。

「……りゅ……う……?……」
 学はなんともおかしな顔をして、呟くように口に出す。
 少女は無言。さっきと同じ笑いを浮かべ、眼には幾分面白そうな色を浮かべてはいたが。
「バッカでー。竜なんて、本当は存ないんだぞ。あれは想像上の生き物なんだから——って、どこ行くんだよ、おい!!
 少女は背を向けるとすたすた歩いて行き、出入り口を入ってすぐの所に張られていたブルーシートをばさりと捲り上げる。そしてもう一度学を振り返ると、意味ありげな笑いを残し、今度こそ闇の中に消えたのだった。

 反射的に、学は少女に続いてシートを潜っていた。
 目の前に、瓦礫の山。
 その天辺近くに、パワー・ショベルが一台停められている。
 月光を浴びたその光景は、妙にひっそりとしていた。
 何故なら昼間の作業中の車に比べると、現在はまるで瓦礫の一部のように——あるいは同化してしまっているようで。
 そんな事を考えたのは、自分でも少し意外に思ったのだが。
 こんなに静かでしんとした、この風景(せかい)は——
「まるで、死んでるみたいだ」
「——でも、眠ってるだけよ」
 先に入ったはずの少女が、後ろに存る。
「な……!」
 驚いて、反射的に振り返る。
 驚いたがそれより、妙な事を口走ってしまった、という思いが勝って学の顔を羞恥で染めた。
 が、少女の方は彼が完熟トマト状態になっている事になどまるで頓着せずに、言葉を続ける。
「止まった時の中で眠ってるから、死んだように見えるの」
 言いながら、瓦礫の山に目を向ける。
「竜は、荒野に眠るもの——」
 視線の先には、パワー・ショベルが有った。
 そう、パワー・ショベル。
 想像上の生き物の、竜なんかじゃなくて、ただの工作機械。
 ふと学は不安になる。
 ……この子、もしかして……?

 モシカシテ、アタマガ。

「……これは瓦礫の荒野に眠る、鋼鉄の竜」
 続けられた言葉を聴いて、思わず深い溜息をついた。
 怖い想像が外れた事に対する、安堵の溜息。
「……だだのパワー・ショベルじゃないか」
 つまらない事を、つい怖がってしまった照れ隠しに、ぶっきら棒に言う。
「想像力の無い奴」
 即座に軽蔑の眼差しで、少女。
「感受性はちょっとくらいマシなのかと思ったら……てーんでダメなのね」
「なにぃ?!」
「さっさと家に帰れば? あんたみたいな理屈屋の怖がりに、竜なんか視えっこないんだから」
「な……」
 見透かされていた、と思った途端、湧き上がった羞恥心は激しい怒りになった。
「そ……そっちこそ……」
 腹を立てているので、言葉が中々出てこない。自分でももどかしいと思いつつ、何とか続けようとする。
「そっちこそ、ウソばっかり。最初っから存るはずないんだから、見えるわきゃないだろっ!!」
——その挙句に、なんであんな事まで言われなきゃならないんだ。
 なんだ、コイツ。まるで、まぁぁるでボクがバカみたいに——偏差値**、某有名私立中学楽勝確定と言われてる、このボクが——
 自分でも頭が良いつもりだったから、余計にそう思う。
 実に子供っぽい『井の中の蛙』的プライドだったが、学は実際に子供だった。誰が見ても。
「あら」
 嘘吐き(うそつき)呼ばわりされた相手は心外な、と言う様に眼を見開く。
「嘘じゃないわよ。本当に存たんだからね、昔」
 言いながら足元の地面をとん、と踏む。
「そして、ここに眠ってるのよ」長ぁいことね、と彼女は続けた。
 ここまでくると学にも、流石に彼女の言わんとする事が読めてきた。
「……恐竜?」
「そうとも言うわね」

 工事現場から化石や、昔の人間が棲んでいた跡が見つかることがある、という話は学も聞いた事があった。
 ——そういや、京都の大学で歴史を勉強している従兄弟の兄ちゃんが、「こっちは遺跡の上に街が出来てるようなもんやから」と言ってたっけ。
 しかしそれにしても、人間が『文化』と呼ばれるものを成立させてからの時代の話である。
 それが、恐竜。
 『弥生』よりも『縄文』よりも、『明石原人』などより、一気に古い。
 しかもこんな場所、自分の住んでる街中に……
 ——そんな事、学校の郷土史クラブの先生だって、言ってなかった。
「……知らなかった……」
「うん。多分、誰も知らない」
「?……んじゃ、なんで知ってんだ」
 つい尖がる学の声に、少女はにっこりと笑い、人差し指を立てて唇に当てた。
「それは、内緒。企業秘密ってヤツね」
 小憎たらしいと思う反面、そういう仕草をされると実にキュートに見えて、それもなんだか悔しかった。
 その一方で、今の言葉の意味を考える。
 企業秘密。
 ……つまり、そーいう関係のヒトの子供なワケね。だからこんなトコに(こんな時間)、一人で(こっそり)出入りしてるんだ。
 よく考えれば、それでも随分おかしいと判ったかもしれない。彼自身が先刻口にしたように、『危険』の一言で絶対許されるはずのない状況なのだから。
 ——例え、大人でも。
 しかし、学は子供独特の自己中心的な——自分なら止められればやはり、(反って)こっそり見に来るだろうという考えで判断を下してしまっていた。
 もしかしたら中には身内や係の人間がいて、この時間外見学者を案内しているのかもしれない。彼女はさっき、確かに『一人じゃない』と言っていたではないか。
「で」
 妙に納得してしまった学に、少女は訊く。
「竜を、見たい?」

 一瞬の躊躇。
 しかし、頭に浮かんだ『まだ、誰も知らない発掘現場』という誘惑は強かった。
「……み……見たい!」
「真夜中よ、出て来れる?」
「もちろん」
 実は今までにも、母親には内緒でこっそりと、自販機やコンビニまで出かけている学だった。何故こっそりかというと、「最近は何かと物騒」とかで、見つかるとうるさいのだ。それに自分だけだと、ジャンクフードの購入を制限されることも無い。
「おっけ。決まりね」
 少女は面白そうに微笑う。その意味するところが、微妙に変わったような。
 何となくワクワクして、学は勢い込んで尋ねる。
「今夜の、何時?」
「今日じゃないわよ」

  一瞬、間が空いた。
「え……えぇ〜〜〜〜〜〜っっ?
 期待しただけに、反動が大きい。
「まだ気温が高すぎるわ。もっと寒くならないと」
「……そーいうもんなのか?」
 こっくりと少女は頷く。
「じゃ、いつなら良いんだよ」
 『遺物』というモノのデリケートさについては、やはり従兄弟からさんざん聞かされていたので、しょうがないなあ、と思いながら確認する。
 彼女の答えは簡潔だった。

「月の光が、凍りそうな夜」

 ……はい?
 いつだ、それは。

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